Science July 12 2024, Vol.385

シナプス小胞を間近で観察 (Viewing synaptic vesicles up close)

ニューロン間の化学的情報交換には、シナプスへの神経伝達物質の急速な放出が伴なう。小胞型ATPase(V-ATPase)はATPを用いて、シナプス小胞にプロトンを送り込み、放出に先だって細胞質ゾルから神経伝達物質の取り込みを可能にする。Couplandたちはラットの脳からシナプス小胞全体を単離し、その生体膜内でのV-ATPaseの高分解能低温電子顕微法構造を決定することができた。著者たちは、タンパク質シナプトフィジンとの化学量論的複合体など、精製されたV-ATPaseの構造には見られなかったいくつかの予期しない特徴を見出した。彼らはまた、以前の生化学研究と一致して、活性条件下でのV1ヘッド・グループの解離を観察した。(KU,kh)

【訳注】
  • V-ATPase:9~13種類のタンパク質からなる超分子複合体で、水溶性タンパク質部分(V1部分)と膜タンパク質部分(Vo部分)からなる。触媒頭部でATPを加水分解する。
  • シナプトフィジン:ニューロン内の小胞に結合し、カルシウムイオンの存在下で細胞膜と小胞が融合することを促進するタンパク質。
  • 化学量論的:化学反応において関連分子の個数比が相互作用部位の数などにより決まっていることを言う。
Science p. 168, 10.1126/science.adp5577

らせん状に電子を構造化する (Structuring electrons with a twist)

物質のキラル特性を測定できる能力は、さまざまな分野にわたって重要である。調査対象である試料と相互作用するキラル特性を有するプローブを用いるのが一般的である。Fangたちは今回、一連のレーザー・パルスで電子を制御することで質量と電荷がコルク栓抜構造に構造化できることを報告している。透過型電子顕微鏡の超高速電子束と超高速らせん光パルスを組み合わせることで、レーザー・パルスのらせん位相が電子に刻印される。その結果生じる(電子ドブロイ波の縦方向運動量の)らせん変調が、微小規模での超高速キラル特性を検出するプローブを提供する。(NK,kh)

Science p. 183, 10.1126/science.adp9143

望まれない水を阻止する (Blocking unwanted water)

光活性なホルムアミジニウムヨウ化鉛(α-FAPbI3)黒色相の成長には通常、ジメチル・スルホキシド溶媒が必要であるが、この化学物質が持つ吸湿性は、水による光不活性相への劣化も促進する。Zouたちは、大きな塩素化有機分子が疎水性のキャッピング層を形成でき、それが、成長中の微結晶を水から保護することにより、高湿条件下でのペロブスカイト結晶化を可能にすることを示した。20%から60%の範囲にわたる相対湿度で太陽電池が作製され、80%の相対湿度で23.4%の電力変換効率に達した。未封入素子は、高湿雰囲気における最大電力点運転で500時間の光照射後に初期性能の96%を維持した。(MY,kh)

Science p. 161, 10.1126/science.adn9646

多かれ少なかれ失う (Losing more or less)

メタンは二酸化炭素に次いで2番目に重要な人為的温室効果ガスであるため、その大気化学を理解することは、気候変動をうまく予測するモデルの開発に不可欠である。現在のモデルは、メタンの破壊のほとんどの原因となる化学種であるヒドロキシル・ラジカル(OH)の量を大気がどのくらい含むかを一様に過大評価しているため、メタンの大気寿命を一様に過小評価している。PratherとZhuは、この食い違いの原因を調査し、その一部は、水蒸気の紫外光吸収経路を認識してこなかったことが、モデルにOH濃度を高く計算させてメタンの寿命を短くしたことによると報告している。(Uc,MY,kj,nk,kh)

Science p. 201, 10.1126/science.adn0415

DNA防御の構造的こま撮り写真 (Structural snapshots of DNA defense)

現在世界的に大流行しているコレラ菌であるVibrio cholerae株は、DNAプラスミドに対抗する免疫を付与する、DdmABCおよびDdmDEと呼ばれる2つのゲノム防御系を持っている。これらの系は、これらの株の進化上の成功において重要な役割を果たしてきたと考えられている。Loeffたちは低温顕微鏡法を用いて、DdmDEのプラスミド排除機構を調べた。彼らの知見は、DdmEがDNAによりガイドされる原核生物のアルゴノートであり、これは下流側のエフェクター・タンパク質DdmDを動員して活性化し、このタンパク質の持つヘリカーゼ活性とヌクレアーゼ活性を協働させてプラスミドDNAを分解することを明らかにした。この研究は、抗プラスミド免疫の分子機構を明らかにすることにより、DdmDEの生物工学への応用の基礎を築くものである。(MY,kh)

【訳注】
  • プラスミド:細菌内で染色体DNAとは別に存在する一般に環状型のDNA。独立した複製機構をもち、細胞分裂では娘細胞に安定して受け渡され、また細菌間の接合を通して外部からも伝達される。
  • アルゴノート:通常は小分子RNAと結合し、生成した複合体が相補的なRNAと結合することで、標的遺伝子の発現を制御するタンパク質に対して用いられる用語であるが、ここではRNAではなく一本鎖DNAと結合するタンパク質に対して用いられている。
  • エフェクター・タンパク質:酵素活性を持つタンパク質。
  • ヘリカーゼ/ヌクレアーゼ:それぞれ、DNAの二本鎖をほどく酵素とDNAを切断する酵素のこと。
Science p. 188, 10.1126/science.adq0534

化学合成のためにACをカスタマイズする (Customizing AC for synthesis)

世界のほとんどの地域は、配電するために交流(AC)を用いている。しかしながら、化学分野での応用に関して言えば、おそらくその単純さのため、依然として直流が主流である。最近、化学者たちは、ACへの切り替えが化学分野でも、特に望ましくない副反応を抑制する点で、有利になるかもしれないことを示し始めている。Zengたちは今回、アルキンとベータ・ケトアミドの銅触媒を用いた電界酸化カップリングにおいて、AC周波数とデューティ比、および電流を系統的に調整することによって得られる、反応収率に対する数多くのさらなる改善を披露している。(Sk,MY,nk,kh)

Science p. 216, 10.1126/science.ado0875

トリプトファンを標的にする (Target on tryptophan)

標準的アミノ酸を標的にして、後期段階でペプチドの修飾を達成する新しい反応の必要性が増加しつつある。従来、アミノ酸修飾を狙いとする反応は、求核性の側鎖(たとえばシステインやリジン)を持つ残基に焦点が当てられてきた。Xiaoたちは今回、後期段階での部位特異的なペプチド修飾に対して、トリプトファンに焦点を当て、選択性が高く効率性の高い手法を開発した。この広範な反応は、トリフルオロ酢酸を溶媒かつ触媒として用い、保護されていないペプチド中のトリプトファン側鎖への多様な官能基の導入を可能にする。トリフルオロ酢酸が、保護されていないどのペプチドも実質的に溶解できるため、これは、重要な進展である。(MY)

Sci. Adv. (2024) 10.1126/sciadv.adp9958

大麦進化の一世紀近く (Nearly a century of evolution in barley)

作物は、関心のある形質に対する人工的選択と、新しい環境に適応させられることによる自然選択の両方によって、根本的に変化してきた。しかしながら、その集団の初期の遺伝的多様性は多くの場合不明であるため、これらの過程の速度と全体的な動態を決定するのは困難である。Landisたちは、28種類の多様な大麦品種のすべての可能な交配を用いて1929年に開始された、大麦のコモン・ガーデン実験であるComposite Cross IIのデータを用いて、適応の動態を研究した。彼らは、ゲノムの約30%は実質的に固定され、50世代目までには子孫の約60%が1つの親系統の子孫になって、遺伝的多様性が急速に減少することを見出した。(Sk,nk,kh)

【訳注】
  • コモン・ガーデン実験:同一栽培条件下で表現型比較を行う実験。
Science p. 157, 10.1126/science.adl0038

ヒト族の系譜を詳細化する (Detailing the hominin family tree)

人類とネアンデルタール人との交雑に対する我々の理解は、過去15年にわたって劇的に変化してきた。かつては全く起こらなかったと思われたが、現在は、ネアンデールタール人から人類への、あるいはその逆の遺伝子流動の十分な証拠がある。Liたちは新しい枠組みを用いて、人類とネアンデルタール人との間の遺伝質浸透に対する複雑さを増す動態と、双方の集団への影響をモデル化した。彼らは、ネアンデルタール人のゲノム中の人類の祖先の領域を特定し、ネアンデルタール人の人口規模がこれまで考えられていたよりも約20%低いと見積もり、また、人間からネアンデルタール人への遺伝子流動に2回の波があった可能性を提案した。この研究はヒト族間の交雑に関する我々の現在の知識を包括的に統合するものである。(MY,kj,nk,kh)

Science p. 158, 10.1126/science.adi1768

変異IDH腫瘍による免疫回避 (Immune evasion by IDH mutant tumors)

転移因子(TE)は、哺乳類のゲノム全体に散在する古代のウイルス感染の遺物である。TEの再活性化と細胞基質核酸センサーによる検出は、細胞警報として機能し、抗ウイルス免疫(ウイルス擬態)を誘導する。Wuたちは、変異イソクエン酸脱水素酵素(mIDH1)の阻害薬の抗ガン機序の根底にあるウイルス擬態の新たな経路を報告している(PitaresiとFitzgeraldによる展望記事参照)。mIDH1は腫瘍代謝物2-ヒドロキシグルタル酸を産生することによってガンに影響を及ぼすが、この代謝物はDNA脱メチル化酵素とヒストン脱メチル化酵素を不活性化する。研究者たちは、mIDH1がある肝腫瘍と脳腫瘍において、DNA上の転写開始領域の高メチル化によって二本鎖DNAセンサーcGASが発現抑制されることを示している。逆に、mIDH1の阻害は、DNAの低メチル化とcGASの転写活性化を引き起こすが、cGASは強力な抗腫瘍T細胞応答を刺激する。(Sh,kj,kh)

【訳注】
  • 転移因子:トランスポゾンとレトロトランスポゾンの二種類からなり、細胞内においてゲノム上の位置を転移することのできる塩基配列。このうちレトロポゾンは、レトロウイルス起源と言われている。
  • 抗ウイルス免疫、ウイルス擬態:休眠状態のウイルス由来の転移因子を誘導、転移因子でコード化した逆転写酵素によってDNAセンサーが活性化、腫瘍細胞は抗腫瘍サイトカインに反応できるようになり、さらに抗腫瘍T細胞の浸潤を促進し強力な抗腫瘍反応を引き起こす。
  • cGAS:DNAに結合すると活性化してシグナル伝達物質を合成することで、自然免疫を活性化する酵素。ウイルスなどの外来DNAに対するセンサーとして働く。
Science p. 159, 10.1126/science.adl6173; see also p. 140, 10.1126/science.adq5196

IStronの静かな広がり (Silent spread of IStrons)

トランスポゾンはゲノム内でのその増殖を触媒するためにさまざまな機構を用いる移動性の遺伝因子である。Žedaveinytėたちは、IStronとして知られていて、宿主への有害な適応負担を和らげながら静かに拡散する細菌性トランスポゾンが利用している複雑な分子戦略を明らかにした。このIStronは、自己スプライシングする能力、したがってDNA転移によって割り込みがなされた遺伝子を回復する能力と、TnpBヌクレアーゼによるRNAガイドDNA直接切断を行う能力、したがってトランスポゾンのコピー数を維持する能力の両方をもつ複雑な非コード性RNAをコードする。TnpBヌクレアーゼはCRISPR-Cas12酵素の祖先であり、細菌での獲得免疫の出現において鍵となる進化的足がかりとなるものであるが、この獲得免疫はゲノム工学技術で今大きな興味対象である。(hE,MY,kj,kh)

【訳注】
  • トランスポゾン:細胞内においてゲノム上の位置を転移することのできる塩基配列である。トランスポゾンにコードされたtnpB遺伝子は、標的DNAの切断と相同組換えによって、それ自身の利己的な拡散を促進するRNAガイドDNAヌクレアーゼをコードしている。
  • 自己スプライシング:タンパク質因子の非存在下で、イントロンRNA自身が自己の配列のスプライシングを行う反応。
Science p. 160, 10.1126/science.adm8189

ステルス病原体 (Stealth pathogen)

洞窟に生息して冬眠するコウモリの集団は、コウモリ白鼻症候群を引き起こすPseudogymnoascus destructansと呼ばれる耐寒性真菌病原体によって絶滅しつつある。Isidoro-AyzaとKleinはコウモリの永久分裂能を持つケラチノサイト株を開発し、コウモリの冬眠中および覚醒中のP. destructansの活性を研究した(Vargas-Munizの展望記事参照)。コウモリが冬眠している低温では、宿主細胞貯蔵所内の真菌分生子が発芽し、菌糸が活発にケラチノサイトを通り抜ける。コウモリの覚醒を刺激する温度では、真菌はアポトーシスの刺激を回避するアクチン依存性の機構で宿主細胞によって取り込まれる。双方の感染経路は、上皮成長因子受容体を必要とする。この菌類が劇症的な宿主応答を回避できるのは、メラニンで覆われた菌類の分生子がエンドリソソームの成熟と死滅を抑制し、また潜り込む菌糸が宿主の免疫エフェクターを刺激する細胞破壊を引き起こさないためである。(KU,kh)

Science p. 194, 10.1126/science.adn5606; see also p. 142, 10.1126/science.adq5157

代謝と発現の統合 (Integrating metabolism and expression)

すべての生命は、酵素触媒反応を通じて代謝産物を変換し、かつ将来の世代のためにそれらの酵素を生成するのに必要な情報を伝えなければならない。合成生物系は、代謝または遺伝子のいずれかに焦点を絞ることが多い。Giaveriたちは2つの既存の人工系、即ち二酸化炭素固定代謝サイクルとin vitroでの転写と翻訳の技術基盤を組み合わせて、二酸化炭素由来のグリシンをDNAでコード化されたタンパク質生成物に組み込むことができる複雑な混成系を作り出した。適切な開始条件を与えると、液滴に閉じ込められた系は、不足している酵素を生成することで自己再生することができる。この統合された代謝と遺伝子生合成系は、代謝ネットワークを研究するために、かつさらなる代謝モジュールのための技術基盤として役立ちうる有用な系となるかもしれない。(KU,kh)

Science p. 174, 10.1126/science.adn3856

より高い発生源 (A higher source)

気相である前駆物質からのエアロゾル粒子の生成は、新粒子形成(NPF)と呼ばれる過程であり、大気中に形成される雲凝結核の約半分を作り出す。この過程は、雲量、地球の放射の均衡、および気候の主要制御要因である。Zhangたちは、オゾンに富む成層圏の空気のその下にある対流圏への侵入が混合につながり、二酸化硫黄からの硫酸の生成を引き起こし、NPFに至るという証拠を提示している(Coeによる展望記事参照)。この発見は、対流雲からの流出を含む、これまで知られている主な機構とは異なる、NPFの別の機構を明らかにしている。(Sk,kh)

Science p. 210, 10.1126/science.adn2961; see also p. 144, 10.1126/science.adq4711

量子レジスタをピンセットで引き抜く (Tweezing a quantum register)

長距離量子ネットワークには、物質の量子ビットを、次のノードまで数百キロも伝播できる光子と絡ませる能力が必要である。この量子ビットにおいては、情報は局所的に保存され、操作される。捕捉された単一の原子やイオンと光子とのもつれには、拡張性に限界がある。Hartungたちは、光共振器内に置かれた光格子にルビジウム原子を装荷することができることを実証している。彼らは、光ピンセットと個々のサイトのアドレス指定機能の助けを借りて、格子を決定論的に装荷し、特定の原子を光子に絡めることができた。このアプローチは、より大規模な量子ネットワークの構築に有望である。(Wt,kj)

Science p. 179, 10.1126/science.ado6471

高エネルギーのための静電容量 (Capacity for high energy)

誘電体は、コンデンサなどのエネルギー貯蔵部品にとって重要である。電気絶縁破壊強度などの特性の改善は進んでいるが、このような改善は充放電サイクルを通じてヒステリシスの劣化をもたらし、効率を低下させる可能性がある。Shuたちは、計算による探索を用いて、この陥穽を回避する、チタン酸ビスマス・マグネシウム-チタン酸ストロンチウム系の組成を特定した。この誘電体は、エネルギー密度が非常に高く、残留分極が低く、1,000 万回の充放電サイクルを通じて安定していた。(Wt)

Science p. 204, 10.1126/science.adn8721