AbstractClub - 英文技術専門誌の論文・記事の和文要約

Science July 29 2022, Vol.377

湿地は盛り上がるのか、没するのか? (Will marshes rise up or sink)

土地利用変化や他の人間活動に加え、潮汐湿地の生態系は海面上昇に対して脆弱である。従来の研究は一部の潮汐湿地は海抜が上昇し、海面上昇に対して著しく回復力に富むことを示している。しかしながら、その結果は場所によって、また現代と完新世の記録の間で異なるものである。Saintilanたちは、四大陸97地点のデータを比較し、堆積物付加と潮汐湿地沈下の間の関係性が、海面上昇に対する応答の違いを説明することを見出した。潮汐湿地は堆積物をより多く付加し、あるところまでは海面上昇に追いついていくが、海面上昇速度が高いところでは、潮汐湿地が沈下し始めるような非線形性で、堆積物付加とともに堆積物の沈下が増大した。潮汐湿地は、現在の気候変動予測のもとでの海面上昇に追いついていくことはないと思われる。(Uc,MY,ok,kj,nk,kh)

Science, abo7872, this issue p. 523

固体素子ナノイオニクスの速度限界 (Speed limit for solid-state nanoionics)

神経細胞およびシナプス中の生物学的情報処理の速度は、約100ミリボルトの弱い活動電位の伝播にミリ秒以上かかる水性媒体によって制限されている。1.23ボルトを超えると液体の水が分解する。人工の固体素子神経細胞は、そのような時間と電圧の制約によって制限されず、生物学的同等物の1000分の1の大きさしかない、ナノメートル規模で製造することも可能である。Onenたちは相補型金属酸化物半導体(CMOS)と互換の材料を用いて、センチメートルあたり約10メガボルトの高電界に耐えることが可能で、室温でのエネルギー効率の高い変調特性を有する、ナノメートル規模の水素イオン用プログラム可能抵抗器の試作品を製作した。この提案された素子は、生物学的神経細胞よりも10,000倍高速であり、高速イオン運動の恩恵を受けられるさまざまな応用を実装するための有望な方向性を提供する。(Sk,nk,kh)

【訳注】
  • ナノイオニクス:ナノ規模でのイオン移動が関与する界面・表面現象を扱う分野。
Science, abp8064, this issue p. 539

薬剤耐性脳腫瘍を標的にする (Targeting drug-resistant brain cancer)

神経膠腫は、脳と脊髄で見られる神経膠細胞の腫瘍である。多形神経膠芽腫(GBM)は最も一般的種類の神経膠腫で、新規な治療方法を緊急に必要とする非常に悪性の脳腫瘍である。GBMは、化学療法薬のテモゾロミド(TMZ)で治療されることが多いが、半数以上の患者で耐性が現われる。Linたちは医化学的方法を用いて、GBMの薬剤耐性に打ち勝つ複数のTMZ類似品を作った(ReddelとArefによる展望記事参照)。これらの薬物は、DNAの一次損傷を生み出すが、これは、損傷を受けていないDNA修復機構を備えた正常細胞では修復が可能である。しかし、DNA修復機構を欠くガン細胞は、この損傷を修復できず、徐々により有毒な二次損傷を抱えこむようになり、その結果、この二次損傷が選択的な腫瘍細胞死を引き起こす。(MY,nk,kh)

【訳注】
  • DNAの一次損傷:TMZが誘発する毒性の強い副作用で、細胞死に至るDNA二本鎖切断を含む。
Science, abn7570, this issue p. 502; see also add4839, p. 467

輸送列の組立てを間近で眺める (Close-up view of transport train assembly)

繊毛とべん毛はさまざまな真核細胞の細胞表面から伸びていて、多様な運動機能とシグナル伝達機能を遂行している。繊毛基部は大きなべん毛内タンパク質輸送列の進入を制御しており、この輸送列は、重要な積荷タンパク質をこの特殊化した細胞小器官であるべん毛の全域に運んでいる。繊毛基部の欠陥は繊毛構成の変更とヒト疾患につながる。van den Hoekたちは、低温電子断層撮影法と拡張顕微鏡技術を組み合わせて、緑藻クラミドモナスの繊毛基部のタンパク質分子構造を研究した。彼らの結果は、べん毛内タンパク質輸送列が繊毛に入る前にどのように集合するのかを明らかにするとともに、自然な細胞内部の動的な事象をタンパク質分子の解像度で可視化する可能性を実証している。(MY,kj,kh)

Science, abm6704, this issue p. 543

人生の凸凹道 (Life's bumpy road)

生涯を通じて、身体の細胞は体細胞変異を獲得する。Baeたちは、ヒト脳への変異の負荷を詳しく調べた。正常な脳由来試料と、トゥレット症候群、統合失調症、自閉症スペクトラム障害を持つ脳由来試料のゲノムの変化を調べたところ、ほとんどのヒト脳は体細胞変異を獲得しているが、ある種のグループでは変異率が異常に高いらしいことが分かった。自閉症スペクトラム障害がある人の脳由来試料では、これらの変異の一部は、転写因子が結合する機会を増やしていた。(ST,nk,kh)

Science, abm6222, this issue p. 511

相関性に基づく歪みの画像化 (Correlative straining mapping)

工学材料の変形中の弾性ひずみ、塑性ひずみ、全ひずみを高分解能で同時に追跡する技術は、材料力学のマイクロメカニズムを理解するために不可欠である。Edwardsたちは、機械的負荷がかけられている単結晶タングステンを研究し、高分解能電子後方散乱回折とナノスケールのデジタル画像相関法を組み合わせて、マイクロメートル以下の分解能で、変形の純粋な弾性成分および塑性成分の測定が実現可能であることを示した。これらの測定は、タングステンのクラック先端での靭性誘起塑性の解明に新たな光を当てた。この方法は、さまざまな種類の材料の微細構造に関連する弾性過程および塑性過程の研究に用いることができる。(Wt,ok,nk,kh)

Sci. Adv. 10.1126/sciadv.abo5735 (2022).

免疫応答の共通中心 (A common core of immune responses)

病原体への対処は多くの生命体にとって絶えず続く戦いであり、生存を支えるのに自然免疫と獲得免疫が必要となる。Essumanたちは、Toll/インターロイキン-1抵抗性/受容体(TIR)ドメインを持つタンパク質への最新の洞察を概説している。このTIRドメインは古細菌から細菌・植物・ヒトまでの生命の全系図にわたる免疫応答を支えている。TIRドメインは、自然免疫のシグナル伝達経路で働き、また同様に、動物の軸索変性でも作用している。全てではないがいくらかのTIRドメインは酵素活性を有している。TIRのニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド加水分解酵素活性は、ファージが原核生物に感染する際にファージを餓死させ、また、植物の病原体応答で過敏感細胞死を促進する。植物のTIRドメインはまた、免疫応答を開始させるヌクレオチド系の二次情報伝達物質を合成できる。(MY,kh)

【訳注】
  • TIRドメイン:昆虫や動物、植物で、病原体に関連する分子パターンを認識する受容体であるToll様受容体(TLR)の細胞質内の領域。自然免疫を作動させる。TLRにリガンドが結合するとTIRドメインにアダプター分子が結合して防御応答に至るシグナル伝達を引き起こす。
  • 軸索変性:神経細胞の軸索が傷害をうけること。神経細胞による信号伝達が減弱され、感覚や運動に麻痺的症状が起きる。
  • 過敏細胞死:植物が、病原体に感染した組織の細胞に急速な細胞死を引き起こすことで病原体を封じ込め、病原体の感染をを阻止するプログラム細胞死のこと。
Science, abo0001, this issue p. 486

ラジカルをドープする取り組み (A radical doping approach)

ペロブスカイト太陽電池では、高い電力変換効率(PCE)は通常、スピロ-OMeTADと呼ばれる有機物の正孔輸送体を用いて得られる。十分な導電性と最適な仕事関数を持つこの材料はドープされる必要があるが、リチウム有機塩を用いる従来の処理は時間のかかる酸化工程を必要とし、それは電池の安定性にも影響を与える。Zhangたちは、安定な有機モノラジカルへと変わるスピロ-OMeTADビラジカル前駆体を加えた。イオン性塩と組み合わせると、このドーピング戦略は、高いPCE(> 25%)と安定性が改善した太陽電池を形成した。この取り組みはまた、導電率と仕事関数を別々に調整することが可能であり、他のオプトエレクトロニクス素子に適用することができるかもしれない。(KU,MY,kh)

【訳注】
  • スピロ(spiro):炭素環或いは複素環2個が1個の原子(炭素、窒素など)を共有して結合している構造を命名するときに用いる接頭語。
Science, abo2757, this issue p. 495

クロマチン研究における新たな力 (A new force in chromatin research)

染色体の物理的性質に関する基本的疑問が未解決のまま残されているが、これは主として生細胞の核内部の直接的な機械的測定法がないためである。Keizerたちは、ゲノム遺伝子座が、その自然な核の状況において、生理学的大きさの点力にどのように応答するかを測定する技術を開発した(SoとTannerによる展望記事参照)。間期のクロマチンは、立体障害性と形態効果はあまり強くなくて、液体に似ており、これは、込み入り絡み合った核の環境という一般的な見解とは相反するものであることが分かった。最終的に、この測定は、ゲノム要素が活発な生物学的力の下でどのように動くことができるかについてのより深い理解を可能にし、染色体の新しい物理モデルを開発するための基礎を提供する。(KU,nk,kh)

Science, abi9810, this issue p. 489; see also add5444, p. 472

連続した長時間の超音波撮像 (Continuous long-term ultrasound imaging)

超音波は、組織や臓器の非侵襲的撮像に広く用いられているが、この方法は、探触子と撮影対象領域間の密接な接触を必要とする。これは、特にその患者が移動を必要とする場合、長時間にわたる画像を得ることを困難にすることがある。Wangたちは、装着可能な超音波撮像装置について述べている(TanとLuによる展望記事参照)。圧電配列型探触子は硬いので、音響的に透明なハイドロゲル高分子弾性体で皮膚に接着される。生体を用いた試験は、この装置が48時間、楽に着用できることを示し、この配列素子を市販の超音波基盤装置に接続することで、頸動脈、肺、および腹部の連続的な超音波撮像が可能になった。(Sk,ok,nk,kh)

Science, abo2542, this issue p. 517; see also adc8732, p. 466

紅藻類の「受粉」 (“Pollination” of red algae)

動物による受粉は、広範で重要な共生関係であり、それは植物の遺伝的多様性と受精の成功を高めている。Lavautたちは、この関係が、植物に固有のものではないことを発見した。それは、雌雄異株の紅藻類であるGracilaria gracilisにも見られる(OllertonとRenによる展望記事参照)。等脚類であるバルチックヘラムシ(Idotea balthica)はその体表面で紅藻の精子を運び、実験は、雄株の藻類から雌株の藻類へ移動する等脚類が、この藻類の受精を増加させることを示した。等脚類による藻類の配偶子の輸送は、その精子がべん毛を欠いていて、さもなければ水流に依存してそれらを輸送するしかないため、生殖の重要な機構であるのかもしれない。(Sk,nk,kh)

【訳注】
  • 植物:ここでは、紅藻などを含まない狭い定義(例えば緑色植物に限る)に従っている。
  • 等脚類:ワラジムシ、フナムシ、ダンゴムシなどを含む甲殻類。
Science, abo6661, this issue, p. 528; see also add3198, p. 471

細胞内事象を記録する (Recording events in cells)

細胞のCRISPRを介したDNA編集における事象の記録は、細胞内事象の記録に向けられてきており、細胞分化系譜をin vivoで決定できるようになり、潜在的に遺伝子発現と細胞シグナル伝達の記録を可能にする。このCRISPR情報記録計は、合成「DNAテープ」に導入される変異に依存するが、このテープは細胞内で表現され、組織の発生と成長の後に配列決定されて経時変化を再構築することができる。Masuyamaたちは展望記事で、腫瘍などの組織の発生と病原性の進行をより理解するために、この方法の可能性について考察している。技術的な課題が現在、このシステムの応用を制限しているが、改善は急速に進みつつある。(KU,kh)

Science, abo3471, this issue p. 469

表面修飾を発注する (Ordering surface modifications)

カーボン・ナノチューブの表面に官能基を持たせる方法はいくつか存在するものの、その位置はデタラメになりがちである。単層カーボンナノチューブ(SWCNT)に対して指示通りに官能基を持たせることは、量子特性実現につながるかもしれない。Linたちは、シトシン(C)とグアニン(G)を含有する短鎖DNA配列を選別し、光架橋反応用にグアニンの配置を制御した(Wangによる展望記事参照)。分光法と低温電子顕微鏡により、(8,3)-SWCNTの鏡像異性体に対して、C3GC7GC3の配列が、SWCNTの2つの炭素原子に6.5オングストロームの周期でグアニンが架橋した、指示通りのらせん構造をきまって作り出すことが示された。(NK,MY,ok,kh)

【訳注】
  • (8,3)-SWCNT:(8,3)はカイラル指数と呼ばれ、SWCNTの六員環がどの方向に連なっているのかを表わすもの。具体的には六員環同士が横方向に連なってできたグラフェンシートでの横方向の単位ベクトルaと、それと60度方向の単位ベクトルbからできる8a+3bの合成ベクトルの方向でグラフェンシートを丸めて作られるSWCNT。なお、このSWCNTのらせんピッチは6.5オングストロームとのこと。
Science, abo4628, this issue p. 535 see also abq2580, p. 473

ヌクレオチド系シグナル群が保護する (Nucleotide-based signals protect)

顕花植物の重要な受容体は、病原体のエフェクター分子に応答し、必要な場合に植物の免疫応答を引き起こす。HuangたちとJiaたちは今回、小さなカラシナ植物シロイヌナズナにおいて、N-末端にインターロイキン-1受容体(TIR)ドメインを持つ受容体が、小分子でヌクレオチド系二次情報伝達物質を酵素的に産生し、免疫応答を開始させる分岐シグナル伝達経路の物語を語っている。このシグナル経路は分岐してさまざまな免疫応答を活性化し、その1つの経路は細胞死応答を制御し、また他のものは転写の変化を管理する。(MY,kh)

【訳注】
  • 病原体のエフェクター分子:病原体が自身の感染を助けるために産生する分子群。
  • TIRドメイン:病原体に関連する分子パターンを認識し自然免疫を作動させるパターン認識受容体のドメイン。近年、酵素活性を持つものがあることが知られるようになった。
Science, abq3297, abq8180, this issue p. 487, 488

過剰なヨウ化鉛の管理 (Managing excess lead iodide)

ハイブリッドペロブスカイト太陽電池では、ヨウ化鉛(PbI2)の形成によって再結合低減などの不働態化効果がいくらか得られるが、素子の不安定性や、電圧による電流密度変化のヒステリシスの発生に至ることがある。Zhaoたちは、塩化ルビジウム(RbCl)をドーピングすることで、不活性な(PbI2)2RbCl不働態相を生み出すことができることを示している。それは、ペロブスカイト相を安定化させ、バンドギャップを低下させる。素子は25.6%の認証電力効率を示し、85℃で500時間動作させた後も80%の効率を維持した。(Wt,ok,kj,nk,kh)

Science, abp8873, this issue p. 531