AbstractClub - 英文技術専門誌の論文・記事の和文要約

Science December 18 2020, Vol.370

気候変動下の山岳生態学 (Mountain ecology under climate change)

気候温暖化は生物の生息分布が変化する原因となっており、さまざまな生物が異なる速度で移動している可能性がある。このことは生態学的共同体の構成と機能の変化を引き起こす。これらの効果は、生物多様性への気候変動の影響に関する予測にほとんど考慮されていない。実験的な移動を行うことで、Descombesたちは、高山植物とその植食昆虫における相異なる上方移住が、共同体の相互作用にどのように影響を及ぼすかについて調査した。より標高の高い領域では、低地からの植食昆虫が三次元的植生構造を変貌させ、そしてこの変貌した植生構造は、植物種の、とりわけ小柄の植物種を利することによる共存に好ましい。再構築された栄養相互作用は、未来の気候変動下での植物群落の変化をつき動かしていく重要な役割を担うことであろう。(Uc,KU,kj,kh,nk)

Science, this issue p. 1469

キノンの微妙な綱渡り (A subtle balancing act for quinones)

パラジウム触媒は、薬剤合成において炭素-炭素結合を作るのに広く用いられているが、通常、両方の炭素中心を前もって活性化する必要がある。酸化剤としての酸素の導入は、前もって活性化する必要性を少なくするが、そうすると触媒の効率が低くなる傾向にあり、特にアレーンのカップリング反応の場合はそうである。Salazarたちは、これらの工程での共触媒であるキノンの役割に照準を定め、炭素-炭素結合形成の加速後に、キノンがパラジウムに配位し、次の、酸素による触媒の再酸化を遅くすることを究明した。キノンに嵩張る置換基を付加するとよりよく均衡し、その結果、触媒効率が大幅に向上した。(MY,kj,kh)

【訳注】
  • アレーン:ベンゼン環あるいは縮合芳香族環を有する芳香族炭化水素化合物、およびアズレンなどの非ベンゼン系芳香族炭化水素化合物の総称。
  • 再酸化:触媒反応を起こした後にパラジウムが触媒能を回復させるのに必要な過程。
Science, this issue p. 1454

複合マルチメッセンジャー解析 (A combined multimessenger analysis)

中性子星は、原子核より高密度な恒星の残骸である。このような極端な条件下での物質の特性はよく理解されておらず、地上の実験室ではその条件に近づくことができない。Dietrichたちは、中性子星合体の重力波、電磁波観測、理論的な原子核物理学の計算からのデータを含む、中性子星の質量と半径に対する複数の制約を結びつけるための枠組みを開発した。彼らはこの解析を用いて、中性子星の状態方程式に制約を与え、宇宙の膨張率を示すハッブル定数の(標準音源である) 重力波の測定の精度も改善した。(Wt,kh,nk)

Science, this issue p. 1450

量子優位性への光によるアプローチ(A light approach to quantum advantage)

量子計算の利点または優位系は、実用的な量子コンピューターに向けて長い間期待されていた重要段階である。最近の研究はこの点に到達したと主張したが、その後の研究では、古典的なシミュレーションも高速化され、標本の大きさに依存する抜け穴の存在が指摘された。計算における量子優位性は、1回限りの実験的証明よりは、量子デバイスと古典的なシミュレーションとの間の長期に渡る競争の結果として示されるであろう。Zhongたちは、50個の区別不能なシングル・モード・スクイーズド状態を100モード超低損失干渉計に送信し、100個の高効率単一光子検出器を使用してその出力を標本化した。最大76個の光子計数を得て、約1030の状態空間の次元を生成することで、彼らは最先端の古典的シミュレーションとスーパーコンピューターを使用するよりも約1014倍速い標本抽出率を測定した。(Wt,ok,kh)

Science, this issue p. 1460

中和するナノボディ (Nanobodies that neutralize)

重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)の棘突起タンパク質に結合するモノクローナル抗体は、治療への可能性を示しているが、哺乳類細胞で作り、そして静脈に注射する必要がある。対照的に、ナノボディと呼ばれる単一ドメイン抗体は、細菌または酵母で作ることができ、その安定性はエアロゾル送達を可能にするかもしれない。今回2つの論文は、棘突起タンパク質にしっかりと結合し、細胞におけるSARS-CoV-2を効率的に中和するナノボディに関して報告している。Schoofたちは、合成ナノボディの酵母表面提示のスクリーニングを行い、Xiangたちは、ラクダ科のラマによって産生される抗棘突起タンパク質ナノボディを選定した。両方のグループは、棘突起タンパク質を不活性な高次構造に固定する非常に強力なナノボディを同定した。選択されたナノボディの多価構造体は、さらに強力な中和を達成した。(KU,kj,kh)

【訳注】
  • ナノボディ:抗体から遺伝子工学的に改変することで得られた抗原を認識する最小のタンパク質断片。
  • エアロゾル送達:エアロゾルを用いて呼吸器系に薬剤を吸入、送達させる医療法の一つ
Science, this issue p. 1473, p. 1479

二歩進んで、一歩さがって振り返る (Two steps forward?now look back)

計算で設計されようと、活性選別で見出されようと、生体触媒用へ転用された酵素は、その最高の触媒能力で作用を始めることは稀である。しかし指向進化法は、場合によっては、活性の乏しい酵素の触媒効率を何桁も向上させることが可能である。Ottenたちは、一連の生化学的手法を用いて、予め進化させたモデル酵素で触媒速度を向上させている起源を調べた。2つの立体構造状態が最初に計算設計された酵素に存在するが、1つだけが活性である。酵素母集団のに向けての変更が、進化の間に触媒効率を向上させる上での一要因である。単独の変異は活性を大きく向上させないが、17の置換の内のただ2つの相乗的な組み合わせが、最終的な進化させられた酵素で見られた速度向上のほとんどを与えることができる。(MY,kh)

【訳注】
  • 指向性進化法:酵素遺伝子を多様化して大腸菌に組み込み酵素を発現させ、求める機能に適する酵素を作る遺伝子を選別し、これをもとに遺伝子の多様化・発現・選別を繰り返すことで、より機能の高い酵素を作り出す技術。
Science, this issue p. 1442

ちゃぶ台返しでマイクロRNAを分解する (Turning the tables on microRNA decay)

マイクロRNAは、動物細胞における多くの遺伝子の調節作用を助ける。それぞれのマイクロRNAは、アルゴノート(AGO)タンパク質と会合し、複合体を形成する。この複合体では、マイクロRNAは標的メッセンジャーRNA(mRNA)と結合し、さらにAGOがmRNA分解を加速する因子を動員する。しかし、幾つかの異常標的mRNAに対しては、この反対が起きる。すなわち、このような標的mRNAとの結合は、mRNAの分解ではなくマイクロRNAの分解を加速する因子を動員する。ShiたちとHanたちは、独立に研究して、この現象の機構を明らかにした。彼らは、異常標的mRNAとの結合が、AGOの分解を引き起こすユビキチン・リガーゼを動員し、それによりマイクロRNAを細胞内の核酸分解酵素に曝すことを見出した。多様な動物および細胞型でのユビキチン・リガーゼの変異は、多数のマイクロRNAを脱規制する。このことは、ユビキチン・リガーゼを介してのマイクロRNAの分解という現象が広く行き渡ってマイクロRNA濃度を形作っていることを意味している。(MY,kh)

【訳注】
  • ユビキチン・リガーゼ:タンパク質にユビキチン(分解の目印になるタンパク質)を連結させる酵素。
  • マイクロRNA: ゲノム上にコードされていて、多段階的な生成過程を経て最終的に20から25塩基長の微小RNAとなる機能性核酸。
Science, this issue p. eabc9359, p. eabc9546

スプライシング・マシンにギアが入る (Splicing machine shifts into gear)

スプライソソームの活性化は、広範なタンパク質の入れ替えとRNAの再配列を含み、それがBactと呼ばれる触媒的に活性な U2/U6RNA構造の形成につながっている。これまで、U2/U6活性部位に至る経路と、タンパク質が U2/U6RNAの折り畳みにどのように役立つかについてはほとんど知られていなかった。Townsendたちは、低温電子顕微鏡法を用いて2つのヒトpre-Bact複合体の構造を決定し、協調的な構造変化の複雑な連鎖反応を明らかにした。それには、活性化過程の方向維持を容易にする、互いに相容れない相互作用を含んでいる。これらの構造は、U2/U6触媒RNAの組み立て経路と、タンパク質がその折り畳みを促進する仕組みを明らかにしている。(Sk,ok,kj,kh)

【訳注】
  • スプライシング:転写されたmRNA前駆体からタンパク質設計に不要な部分を取り除いて成熟RNAにする機能
  • スプライソソーム:タンパク質とRNAの複合体で、スプライシング機能を持つ
Science, this issue p. eabc3753

高品質のアカゲザル・ゲノム (A high-quality rhesus macaque genome)

最初の完全な生物ゲノムが生成されて以来、ゲノム技術は大幅に向上した。新しい技術を適用して、Warrenたちは、非ヒト霊長類モデルのアカゲザルのゲノムを精査した。ロング・リード技術と配列決定技術における他の最近の進歩は、隙間のはるかに少ないゲノムを生成するために適用され、反復要素の位置と数を精査するのに役立った。さらに、著者たちは個体間でリシーケンシングを実行し、アカゲザルの遺伝的変異性を明らかにした。このように、以前は不完全で不正確だった一連の配列情報が今や充分に解決され、これにより生物医学および比較遺伝子研究のための遺伝子地図が改善された。(KU,kh)

【訳注】
  • (ゲノム)ロング・リード(シーケンス):ゲノム解析においてで断片化されたDNAのうちで1万塩基対のような長い断片化DNAの配列決定法
  • (ゲノム)リシーケンシング:ゲノム配列が既知の生物種を対象とし、次世代シーケンサーにより取得した配列をリファレンス(参照配列)にマッピングすることで、ゲノムワイドな変異箇所を検出する手法。
Science, this issue p. eabc6617

新皮質における記憶強化 (Memory consolidation in the neocortex)

内側側頭葉にある脳構造と新皮質との間の情報伝達は、学習に不可欠である。しかしながら、この伝達の神経細胞的土台は不明である。Doronたちは、嗅周野の深層に位置する神経細胞が、学習における微小刺激後に発火の増加を示すことを見出した(Donatoによる展望記事参照)。学習は、体性感覚皮質第5層の神経細胞小集団の出現と関連しており、それは刺激によるバースト発火を増加させた。このバースト発火の増加は樹状突起活動の増加を伴っており、第1層への投射に対して嗅周野を沈黙させると、学習とその生理的相関が効果的に遮断された。学習中、嗅周野の入力はこのように皮質-皮質入力の増大のためのゲートとして機能しており、それは刺激の検出に必要であり、学習中に強化される。(Sk,kj,kh)

【訳注】
  • 嗅周野:海馬を頂点とする内側側頭葉記憶システムの入り口に相当し、特にオブジェクトに関する記憶機能と深く関わる
  • 体性感覚皮質:大脳皮質の頭頂葉にあり、脳の局所と各身体部位に点対点の対応関係がある
Science, this issue p. eaaz3136; see also p. 1410

小脳の進化 (Cerebellar evolution)

小脳の部分構造である小脳核は、小脳から脳の他の部分に情報を伝達する。単一細胞トランスクリプトミクスを使用して、Kebschullたちは、進化を通じて繰り返されてきた小脳核構造の保存されたパターンを明らかにした(Hattenによる展望記事を参照)。マウスからニワトリ、そしてヒトに至るまで、小脳核は領域特異的な興奮性神経細胞と領域には依らない抑制性神経細胞で構成されている。ヒトにおいては、小脳を前頭皮質に結びつけている小面が強化されている。(KU,ok,kh)

Science, this issue p. eabd5059; see also p. 1411

視覚喪失の細胞への影響 (Cellular effects of visual deprivation)

髄鞘形成は、神経軸索に沿った活動電位の進行を速める。Yangたちは、視覚経験に応じてマウス視覚野における髄鞘形成の変化を研究した(YalcinとMonjeによる展望記事を参照)。通常の視覚では、髄鞘形成は継続的に作り直される。単眼喪失に応じて眼優位性が変化すると、髄鞘形成パターンは特定の抑制性介在神経細胞では変化するが、興奮性脳梁投射神経細胞では変化しない。髄鞘は足されたり減らされたりし、髄鞘の各部分は伸長したり収縮したりし、そして既存の希突起膠細胞は新しい髄鞘を形成する。この適応性髄鞘形成は、知覚体験に応答して神経機能を多様化し神経回路を再構築するのに役立つ。(Sh,KU,kh)

【訳注】
  • 髄鞘:神経細胞の長い糸状突起で末端の効果器に信号を伝達する軸索の周囲に存在する脂質層。主にミエリンという脂質からなることからミエリン鞘とも言う。
  • 眼優位性:大脳皮質視覚野の神経細胞の多くは、左右どちらの眼に光刺激を与えても反応を示すが、どちらの眼により強く応じるかは神経細胞によって異なる。視覚野神経細胞の、それぞれの眼に対する反応選択性を眼優位性と言う。
  • 希突起膠細胞:脳と脊髄の中にあり神経細胞を支持しているグリア細胞のうち、小型で比較的突起の少ない細胞。軸索に細胞膜を巻きつけることにより髄鞘を形成し信号伝達を早める。
  • 介在神経細胞:比較的短い軸索を持ち、軸索の分布範囲が所属する部位に限局し、近傍の神経細胞のみと情報交換を行う神経細胞。投射神経細胞 は長い軸索を持ち、他の脳部位へと情報を伝達する。
Science, this issue p. eabd2109; see also p. 1414

磁気的特殊相対論 (Magnetic special relativity)

磁性材料は磁区を有しており、磁区は磁壁と呼ばれる境界によって互いに分離された向きが整列したスピンの区画である。これらの境界は電流によって動かすことが可能であり、これはいわゆるレーストラック・メモリの基礎を形成する現象である。実験者がこれらの素子を完全なものにするにつれて、磁壁の速度は着実に増加してきた。Carettaたちは今回、この速度が根本的に制限されていることを実験的に示している(DanielsとStilesによる展望記事参照)。ちょうど、光の速度より速く移動できる物体はないのと同じように、磁壁の速度は、磁性母材の特性によってのみ決定される定数に飽和する。(Sk,kh,nk)

【訳注】
  • レーストラック・メモリ:磁区の変化で記憶する不揮発性メモリであり、磁区の磁化の方向によって情報記憶を行うため電源を切っても記憶が維持される
Science, this issue p. 1438; see also p. 1413

クラインのトンネル効果を音で実証する (A sound demonstration of Klein tunneling)

量子力学系における重要な特性の一つに、粒子がポテンシャル障壁を貫通するトンネル効果があり、その効果の程度は障壁の特性に大いに依存する。対照的に、クラインのトンネル効果は、エネルギー障壁の幅と高さに依存しない透過率が1の貫通を示すと考えられているが、この効果に関する直接的な証拠はとらえられていない。Jiangらは、誘電体円柱の周期的な配列からなるフォトニクス結晶を用いて、クラインのトンネル効果を直接観測できたことを報告している。透過率が1に近い音響励起の透過が、障壁の幅と高さに依存せずに障壁を超えて観測された。接合部の大きさと入射波の周波数を制御することでこのトンネル効果を調節できる本手法は、複雑な非自明な物理や信号処理及び情報通信における応用を探求するための有望な技術基盤を提供する。(NK,KU,kh,nk)

Science, this issue p. 1447

時とともにうつろう (Changing with the times)

免疫的に未感作の集団におけるウイルスの世界大流行的蔓延は、病変形性、病原性、かつ/または感染性を変える変異を選び出す可能性がある。中国から出現した重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)の祖先系は、現在では、ウイルス刺突起タンパク質のD614G(Asp614-to-Gly)変異を含む株に大部分が置き換えられている。Houらは、ヒト細胞と動物モデルを用いた一連の実験で、祖先型に対する、新しい変異型の特徴を比較した。その結果、この変異型は上気道上皮細胞への感染に優れており、祖先型ウイルスよりも多くの数の自己複製を生成する。動物モデルからの証拠は、毒性の有意な変化は、あるとしても、控えめな程度であることを示している。したがって、このウイルスは、病原性を高める方向へというよりも、ヒトへの感染性を高める方向に進化したと考えられる。この変異は新しいウイルスの変異型を中和抗血清に対してより感受性の高いものにしているのであり、それは現在開発中のワクチン候補の有効性を変えない。(ST,kj,kh,nk)

Science, this issue p. 1464