AbstractClub - 英文技術専門誌の論文・記事の和文要約

Science September 4 2020, Vol.369

月面のヘマタイトが手がかりを握る (Lunar hematite holds clues)

月の両極には、何十億年にわたる地球大気の酸素同位体の記録が含まれている可能性がある。月面は非常に還元的であるが、Moon Mineralogy Mapper によって収集されたデータを用いた最近の研究は、地球上では一般的な鉄の酸化生成物であるヘマタイト(赤鉄鉱)が、月の高緯度地方に存在するという強力な証拠を与えている。Li たちは、ヘマタイトの堆積物を地図化した。そして、ヘマタイトの堆積物が、月の地球側の面の地形的に高い場所の東かつ赤道を向いた側に随伴して主に見出されることに注目している。彼らは、酸素が、地球の上層大気から供給されて、局所的に酸化環境を作り出すことができ、それがヘマタイトの形成を可能にしたと提案している。(Wt,MY,kh)

Sci. Adv. 10.1126/sciadv.aba1940 (2020).

ケイ素の陸上での生物地球化学 (Terrestrial biogeochemistry of silicon)

ケイ素は植物組織の重要元素であり、草食動物と他のストレスに逆らって構造的に防御できる一因になっている。しかしながら、陸上におけるケイ素の生物地球化学的循環、とりわけケイ素調節における地球化学的および生物学的な機構の間の相対的重要性は、殆ど分かっていない。de Tombeur たちは、西オーストラリアの土壌と植生の200万年の年代系列においてこの疑問を研究した。これらの場所は経年するに従い、風化と不毛が着実に進んでおり、このことは生態系が発展するに従い、ケイ素循環が地球化学な支配から生物学的な支配に移行していることを示している(Carey による展望記事参照)。彼らは、葉のケイ素濃度が生態系発展を通じて連続的に増加しているのに、岩石由来のケイ素がより年代の経った土壌において枯渇していることを見出した。対照的に、他の主要な岩石由来の栄養素は植物での濃度減少を示した。それゆえ、生物学的ケイ素循環は、土壌の極端な不毛条件下にあっても、植物が濃度を維持することを可能にしている。(Uc,ok,nk,kh)

Science, this issue p. 1245; see also p. 1161

始まりを見つける (Finding the start)

真核生物の翻訳には、多くの役者が動的でよく統合された過程に関与している。43S開始前複合体(PIC)は、リボソームの40Sサブユニット、重要な役割を果たしていることが知られているeIF3複合体などの翻訳開始因子、および、翻訳開始に用いられる転移RNAから構成される。PICは、メッセンジャーRNA(mRNA)の5′末端でキャップ結合複合体eIF4Fの所に動員され、48S複合体を形成し、mRNAに沿って開始コドンを探す。Brito Querido たちは、低温電子顕微鏡を用いて、再構成されたヒト48S複合体の構造を決定した。彼らは、eIF4FがリボソームのmRNA出口部位近傍でeIF3に結合することを見出した。この位置取りは、40Sサブユニットを通じて下流側のmRNAが引っ張られて開始コドンを見つけるらしいことを示唆している。(MY,kj,kh)

【訳注】
  • 40Sサブユニット:真核生物のリボソームは60Sの大サブユニットと40Sの小サブユニットからなる(Sは超遠心機での沈降速度を表わし、大きさに対応する)。小サブユニットでのmRNAの読み込みと、tRNAを介しての大サブユニットでのアミノ酸の連結がなされる。2つのサブユニットは翻訳開始前は分離しており、小サブユニットに複数の真核生物翻訳開始因子(eukaryotic translation initiation factor:eIF)が結合して開始コドン認識などの翻訳前の調節がなされる。
Science, this issue p. 1220

宿主タンパク質合成に対するウイルスの妨害 (A viral block on host protein synthesis)

コロナウイルス疾患2019(COVID-19)の大流行は大きな被害をもたらし続けているので、科学者たちは、この疾患をもたらす重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2の理解を深めるよう急いでいる。このウイルスは、ひとたび宿主細胞内に入ると、細胞の翻訳機構を乗っ取ってウイルスのタンパク質を作るだけでなく、病原性因子である非構造タンパク質1(Nsp1)が宿主のメッセンジャーRNAの翻訳も停止させる。Thoms たちは、ヒト・リボソームの40Sサブユニットに結合したNsp1の再構成複合体に対する2.6オングストローム解像の低温顕微鏡構造を決定し、Nsp1がメッセンジャーRNAが入り込むトンネルを妨害することを明らかにした。ヒト細胞由来の未変性Nsp1-リボソーム複合体の構造目録は、この機構を裏付けしている。細胞研究は、翻訳停止が自然免疫応答をほぼ完全に抑制することを示している。リボソーム上のこの結合ポケットは、COVID-19を治療する薬剤の標的になるかもしれない。(MY,kh)

Science, this issue p. 1249

熱負荷を説明する (Accounting for heat burdens)

気候温暖化がますます明白かつ影響を及ぼすようになるにつれて、生物種に対するその長期的な影響を予測することへの欲求が高まっている。古典的には、これは実験室で観察された結果に基づいて致死限界を推定することによりなされてきた。しかしながら、現実の世界では、生物はその後快適な温度に戻ってしまう単発の高温を経験するのではなく、暑い季節の間に一連のかなり高温にさらされる。Rezende たちは、野生のミバエ個体群の経験的様式を正確に予測する動的モデルでこれらの累積効果を説明し、温暖化温度の累積効果を将来予測に組み込むことが可能であることを示した(Huey と Kearney による展望記事参照)。(Sk,ok,kh)

Science, this issue p. 1242; see also p. 1163

星周円盤を切り裂く (Ripping up a circumstellar disk)

星形成の過程では、若い星の周りに気体と塵の円盤が形成されるが、これは、その後の物質の降着を制御する。ひとたび星が形成されると、この星周円盤に残ったあらゆる物質は惑星を形成する可能性がある。円盤の中心に連星または三連星が形成される場合、理論モデルは、それらの軌道がもたらす潮汐トルクが、円盤分裂として知られる過程で円盤を引き裂く可能性があると予測している。Kraus たちは、複数の近赤外線望遠鏡とサブミリ望遠鏡により、干渉法と偏光測定法を用いて近傍の若い三連星系である GW Orionis を観察した。彼らは、向きが連星軌道面と異なる1つの環と円盤の一部のめくれ上がりが存在する証拠を発見した。この向きもめくれ上がりも、円盤分裂によって生じたものである。(Wt,nk,kh)

Science, this issue p. 1233

オートファゴソームの核形成を再構成する (Reconstituting autophagosome nucleation)

健康でいるためには、私たちの細胞は絶えず有害物質を処分する必要がある。オートファジーすなわち自食は、嵩高い物質の除去を確実なものにする重要な機構である。そのような物質は細胞膜に包まれてオートファゴソームを形成し、その内容物はその後分解される。オートファゴソームの形成は、多くの因子が関与する複雑な過程である。それらがこの過程で一緒になって作用するやり方は依然謎めいている。Sawa-Makarska たちは、酵母から得た精製オートファジー因子を用いて、オートファゴソーム形成の初期段階を再現した。この方法は、オートファゴソームの組立ての間のオートファジー機構の組織化原理の幾つかを明らかにしている。(MY)

【訳注】
  • オートファゴソーム:オートファジーの際に細胞質内に形成される二重膜に囲まれた球状の構造。内部に分解対象の物質が含まれる。この構造にリソソームが融合して内容物が分解される。
Science, this issue p. eaaz7714

体内時計の順応性 (Body clock resilience)

体内時計、つまり概日リズムは、活動と恒常性過程を日光に結びつけるのだが、男性と女性で異なる。証拠は、女性が子供と同様に、男性よりも一日のより早い時間帯により高い活動の最大値を有しており、(時間帯を変更する場合や交代制勤務の場合に生じるような)早朝勤務に対してより順応性があることを示唆している。展望記事において、Anderson と FitzGerald は、男性と女性での異なる概日リズムの考えられる仕組みと影響、およびそれらが健康にどのように影響しそうかについて論じている。(Sk,ok,kh)

Science, this issue p. 1164

魚の再生の調節要素 (Regulatory elements of fish regeneration)

一部の動物は広範に再生するが、哺乳類のような他の動物は再生しない。この違いの裏にある理由は明らかでない。もし再生を促進する遺伝的機構が進化的に保存されていれば、種々の選択圧にさらされる遠縁種の研究は、種特異的なのと進化的保存されたのとの間で差別的な再生応答機構を明らかにするかもしれない。ゼブラフィッシュと短命のアフリカメダカは約2億3千万年の進化距離で隔てられており、そのため、分子機構を解明するための生物学的背景を提供する。Wang たちは、これらの魚における種固有の再生プログラムおよび進化的に保存された再生プログラムの両方を特定している。彼らはまた、再生能力が限られているか持たない脊椎動物種においては、このプログラムの要素が進化的な変化を受けているという証拠を提供している。(Sk,nk,kh)

Science, this issue p. eaaz3090

睡眠と前脳基底核の活動 (Sleep and basal forebrain activity)

脳の神経活動のさまざまなパターンが睡眠覚醒周期を制御する。しかし、この活動が睡眠の恒常性にどのように寄与するかは、ほとんどわかっていない。前脳基底核中のアデノシンは、睡眠恒常性の傑出した生理学的媒介物質である。Peng たちは新しく開発された指示物質を用いて、マウス前脳基底核のアデノシン濃度を長期観測した。アデノシン濃度との明瞭な相関が覚醒状態とレム睡眠で見られた。アデノシンの活動依存的な放出は、前脳基底核グルタミン酸作動性ニューロンの光遺伝学的刺激後にも誘発することができたが、コリン作動性ニューロンではできなかった。これらの知見は、覚醒時の神経活動が睡眠誘導因子の放出を通じて睡眠圧にどのように寄与するかについての新しい洞察を提供する。(Sh)

Science, this issue p. eabb0556

COVID-19患者の免疫特性分析 (Immune profiling of COVID-19 patients)

コロナウイルス疾患2019(COVID-19)は全世界で何百万人もの人たちに影響を与えてきたが、いまだ、ヒトの免疫系がどのようにしてCOVID-19の重症度に応答し影響するのかは不明なままである。Mathew たちは、COVID-19に関係する免疫調節の包括的な図表を提供している。彼らは、COVID-19の入院患者の高次元フロー・サイトメトリーを実施して、疾患の重症度と臨床的指標に関係する3つの顕著で別個な免疫型を見つけた。Arunachalam たちは、軽症から重症のCOVID-19患者の免疫系を評価するシステム生物学的方法を報告している。これらの研究は、免疫細胞情報の概要と可能性のある治療介入の一覧表を提供する。(MY,kj)

【訳注】
  • フロー・サイトメトリー:細胞や微粒子などを整列して流し、照射レーザー光の散乱(主として光軸から少しずれた前方散乱と直角方向の側方散乱)を観測し、細胞や粒子の大きさや形状などの情報を得る分析法。対象を蛍光物質で標識することで生物化学的な情報など、多くの情報を得ることが出来る。
  • システム生物学:数理計算モデルや統計学的手法を用いて、生命を遺伝子やタンパク質などの各構成要素のネットワークが集合したシステムとして理解しようとする学問分野。
Science, this issue p. eabc8511, p. 1210

タンパク質設計用道具箱に新しい道具 (A new tool in the protein design toolbox)

タンパク質設計は、第一原理からタンパク質の折り畳みを計算することができる。しかしながら、機能する新しいタンパク質の設計は依然として困難なままであるが、それは、部分的に、結合相互作用の設計にはタンパク質配列とタンパク質-リガンドの立体配座の最適化を同時に必要とするためである。Polizzi と DeGrado は、小分子薬剤に結合するタンパク質を一から設計した(Peacock による展望記事参照)。彼らは、接触する残基の骨格に対する化学基の配向を追跡する、ファン・デル・メール(van der Mer:vdM)と呼ばれる新しい構造要素を導入した。タンパク質が、タンパク質内充填と同様の相互作用を用いてリガンドに結合すると仮定することで、彼らは、タンパク質データ・バンク(Protein Data Bank)における多数の構造群から、統計的に優先される vdMを決定した。彼らの計算に重み付けされた vdMを含めることで、彼らは、薬剤アピキサバン(apixaban)に結合する6つの新規なタンパク質のうち2つを設計した。薬剤-タンパク質のX線結晶構造が、その設計されたモデルを確認した。(KU,kj,kh)

【訳注】
  • 薬剤アピキサバン(apixaban):血栓塞栓病の治療と予防に用いられる薬。
Science, this issue p. 1227; see also p. 1166

極めて正確な比 (A very precise ratio)

陽子と電子の質量比値はその他の物理定数の値に影響する。この比は極めて高い正確さまで知られている。Patra たちは、重水素化水素分子イオン(HD+)の回転振動スペクトルにおける特定の周波数を測ることで、この正確さをさらに向上させた。彼らは、この高い正確さを達成するために、イオントラップにHD+ 分子を捕捉し、ベリリウム・イオンでそれらを囲んだ。そして冷却ベリリウム・イオンがHD+ 分子の冷却を促すことで、HD+ のスペクトル線が十分狭められ、理論的予測との比較により陽子-電子質量比が抽出できた。(NK,MY)

Science, this issue p. 1238; see also p. 1160

ブラジルにおけるSARS-CoV-2の蔓延 (The spread of SARS-CoV-2 in Brazil)

ブラジルは、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)の大流行によって大きな打撃を受けている。Candido たちはゲノム解析と疫学解析を組み合わせて、ブラジルにおける非医薬品介入(NPI)の影響を調査した。協調議定書を用いてゲノム研究所のネットワークを構築することで、研究者たちは収集されたサンプル中で29%のSARS-CoV-2陽性率を見出した。ブラジル国内への100を超えるSARS-CoV-2の海外からの伝来が特定された。その中には、NPIと旅行禁止の実施前にすでに十分に流行がはっきりしていたヨーロッパからの3つのウイルス系統が含まれる。ウイルスは都市中心部から国全体に広がった。これは旅行禁止前の航空旅客による25%の平均旅行距離の増加に伴うもので、短距離旅行の全体的な減少が効かなかった。残念ながら、この事実は、ブラジルにおける今日の介入がウイルス伝搬を抑え込むには不十分であるということを明らかにしている。(KU,ok,nk,kj,kh)

【訳注】
  • 協調議定書(harmonized protocols):IPUC が発行したレポートで、正式名は
Science, this issue p. 1255

SARS-CoV-2のおとり受容体 (A decoy receptor for SARS-CoV-2)

重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)がヒト細胞に侵入するには、ウイルス表面の棘突起タンパク質が、宿主の受容体タンパク質であるアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)に結合する必要がある。この受容体の可溶化版はコロナウイルスの治療薬として開発されつつある。Chan たちは deep mutagenesisを用いて、棘突起タンパク質へより強く結合する ACE2変異体を特定し、そして結合親和性をさらに高めるために変異を組み合わせた(DeKosky による展望記事を参照)。有望な変異体は、棘突起タンパク質に対する結合親和性を持つ安定した二量体になるように設計された。それは、中和抗体に匹敵し、細胞に基づく分析においてSARS-CoV-2とSARS-CoV-1の両方を中和した。さらに、天然の受容体との類似性は、ウイルス結合回避の可能性を低く抑えるだろう。(KU,MY,nk)

【訳注】
  • アンジオテンシン変換酵素2(ACE2):心臓の収縮力を高め、細動脈を収縮させることで血圧を高める作用がある。この阻害薬は血圧降下剤として用いられる。
  • 可溶化版:ここではACE2中の細胞膜への固定化部分である膜貫通ドメインがないもののこと。
  • deep mutagenesis:ゲノム変異により、対象タンパク質のアミノ酸残基を網羅的に他のアミノ酸で置換した多種の変異タンパク質を作り、それらのタンパク質の選択が起こるようタンパク質機能の評価をすることで、機能とタンパク質残基やタンパク質構造との関係に関する知見を得る解析方法。
Science, this issue p. 1261; see also p. 1167